東アジア・ベスパの国、台湾。

今回台湾を訪れた目的はもう一つ、かつてVespaが生産されたその土地を訪れるという事でした。
今回は、その記録、痕跡が残る2か所を訪れることが出来ました。


台湾彰化県に今も残る羽田機械股份有限公司(Yeu Tyan Machinging Co.)の跡地。こちらは門の様子が当時の雰囲気をそのままに残していました。生産ラインに使用していた建物も今も残っている様子。


*今年参加したVespaDayTaiwanでは多くのModernVespaが目につきました。台湾では世代が変わってもベスパが愛され続けている表れと感じました。

▼2018 21st Vespa Day Taiwaの様子はこちら
2018 21st Vespa Day Taiwanに参加しました!。

今回、台湾を訪れた中で最も当時の面影を残していたのは彰化県にある羽田機械股份有限公司(Yeu Tyan Machinging Co.)の跡地。羽田機械股份有限公司は”比雅久”というエンブレムが付くベスパを生産し、後にPGOという社名になりました”比雅久“ってどう読むのか難しいですが、”Piaggio”と漢字で表現されています。”偉士牌”(こちらはこれでVespaと読めますね)に比べて比雅久(Piaggio)のネーミングで販売されていた期間こそ短いですが、その後は自社ネームにて販売し、現在は大学の敷地内となっている部分も多いですが、入口の門などは当時の形を残しております。また、当時の広告では工場の様子を映し出す航空写真を掲載しているものもあり、それをGoogleMAPと照らし合わせても土地の作り、道の作りがそのまま今も残っています。


*”おじさん”と呼ばれるスタイルでベスパが台湾の街中を抜けていく様子。特有の大きなウインドスクリーンを取り付け人々の足として道具として使用されていた名残を今でも稀に見ることが出来ます。Keelung,2014.01.12.

時代の流れとともに形態も変わっていくので、一概には言えませんが台湾では2つの会社がベスパを生産していました。うち一つはその名残を駆動系関連の部品で現行のベスパでも見ることが出来ます。元々イタリアでデザイン・設計されたベスパですが、ベスパを世界中に普及させるため完成車を輸出することはもちろん、輸入関税等によるコストを抑えるため現地組み立てや現地生産がその土地の会社・工場に任されその国でベスパが普及していきました。

台湾での経済成長期には国が高速道路や鉄道等のインフラ整備を行う為に多くの土地を買収し、人々にお金が回りベスパが買うことが出来たという話もあります。
今でも輸入車に対しての関税が日本に比べると高い台湾ですが、その当時イタリアで出荷されたベスパを購入するというのは並大抵なことではなかったと思います。そんな中、現地でベスパが生産されそのような形で人々にお金が回ってきたこともあり、国民車としてベスパが台湾で普及したそうです。その後は、嫁入り道具としてベスパとなるほどベスパの存在価値というのは大きいものだったようです。


羽田機械股份有限公司の一部は大学施設として利用されておりました。工場側の一部は他の会社が継続して使用している模様です。


*特徴的な入口の門柱は今でも健在です。数年早く訪れることが出来れば、〝羽田機械股份有限公司”の文字が今もそこに残っていたはずです。


*周辺には羽田公司がこの土地を使用していた名残を見ることが出来ます。

今回もう一つ訪れた場所が、高雄市にあった台湾偉士伯股彬有限公司の生産工場跡地。ベスパのフロント部分やET8のメーターパネルに”偉士牌”のロゴが付くモデル。しかし、移転や増設等行われたこちらは跡形もなく”この辺だろう”という情報までしかつかめませんでした。後のTGBである台湾偉士伯股彬有限公司は後のPXシリーズはもちろん、ET8(イタリアではET4。末広がりの縁起を担いで台湾ではET8として販売されていました)まで生産されていましたが、その記憶というのは薄れて行っている様子でした。実際にここらへんだろうという土地を訪れても明確に痕跡を見つけ出すことが出来ませんでしたが、古びた屏の中にうっそうとした木々の間に給水塔を見ることが出来たので、かつて使用していたものかもしれません。


*台湾各地で見ることが出来る昔ながらの〝偉士牌”が残るお店の様子。現地の友人を通じて何件か訪れることが出来ましたが、時が止まっているお店、時代の流れとともに調和しているお店、様々でした。2017.04.22.


*現行の”Vespa”を販売するお店では、ブランドカラーであるベスパグリーンの看板。そして白を基調とした店内は清潔感があり、店内には多くのモデル、カラーバリエーションが並べられていました。2017.04.22.


羽田機械股份有限公司跡地を訪れるにあたり今回利用した駅はこちら。現地のベスパ友達に相談したところ最も近い駅を利用するよりもこちらの駅を利用すると良いと教えていただきました。当初利用しようとしていた駅は、事前の調査で駅前にタクシーが一台も止まっていない駅で困るところでした。一方教えていただいたこちらの駅前には多くのタクシーが待機しており1時間いくらで走ってもらいました。今回の利用方法を考えたら結果的にお得だったようです♪。ありがとうございます。


*日本はすっかり秋なのに、台湾はまだまだ夏の気候。タクシーも使い、自分の足でも動き回り火照った体を冷やすのにちょうど良い台湾のかき氷、地元名物の八寶圓仔冰を訪れました。八寶圓仔冰(奥の氷)30元、燒麻糬(手前の御餅)30元はどちらも疲れた際の一休みにちょうど良い台湾の味で美味しかったです。御餅もそこそこあるので、これで空いた小腹も満足でした☆。これで約240円なのでお手頃です♪。


*高雄市内某道路。この通りに面した工場でかつて〝偉士牌”が生産された痕跡はすっかりと消えていました。

前回はフランスに残るベスパの町、”Fourchambault”を訪れました。Fourchambaultでは地元のクラブがモニュメントを設置したり、Fourchambaultとイタリア・Pontederaが姉妹都市を結んでいたりと、町ぐるみでこの町にベスパが生産された様子を残していました。残念ながら台湾ではそのような取り組みはされていませんが、人々の懐かしい記憶には確かに偉士牌はあるようです。彰化県の跡地を訪れる際に、台中駅を利用しました。駅建物には台湾の鉄道をテーマとしたコーナーが用意され、台湾で使われた多くの鉄道関連用品やお土産コーナー、模型コーナー、人々の生活になじみがあったものがが展示されていました。そんな中、偉士牌も忘れずに展示がされていました。日本でも昭和30年代はこうだったようね、こんなのあったよねと懐かしむことと変わらないのかもしれません。近年台湾でも日本時代に作られた建物を保存しようとする取り組みも盛んになってきましたが、近代工業製品ですと、その敷地、建物を使い続けよう、保存しようと取り組まない限りどんどん新しいものに変わっていってしまうので、ベスパの工場跡地にかかわらず痕跡に興味がある方は早めに現地を訪れることをお勧めします。

▼フランスのベスパ工場跡地の様子はこちら
CITE DE LA VESPA “Fourchambault”